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9割は映画、たまにアニメや本の感想。

20180721 『ジェネレーションX』

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『みんな、いい子たちだ。どこの家族でも誰も文句は言えまい。みんな元気なのだ。みんなエセ全地球主義(グローバリズム)とかニセ人種調和とかを受け容れ、信じているが、そんなものは、ソフト・ドリンクとかコンピュータ在庫調整のセーターとかのメーカーが仕組んだ広告キャンペーンだ。大半は、二十五歳で人生が終わったら、IBMで働きたがっている(「失礼ですが、恩給計画について、もう少しくわしく……」)。けれど、何か暗くて、いわく言いがたい意味で、この子たちはまたダウであり、ユニオン・カーバイドであり、ジェネラル・ダイナミクスであり、軍部なのだ。だから、トバイアスとは違って、この子たちのエアバスが寒々としたアンデスの高地に墜落したとしたら、亡くなった乗客仲間を食べることに、まずは何の良心の呵責も覚えないだろうという気がする。仮説でしかないけれど。』

(『ジェネレーションX 加速された文化のための物語たち』ダグラス・クープランド著 黒丸尚訳 角川文庫 1992)

 

部屋の掃除をしていたら出てきた懐かしの小説を久々に読みました。たぶん5年ぶりくらい。高校時代から(読みにくさ故に)何度も読んでいますが、久方ぶりに読み返してみると、相変わらずと言うか、ダメな33歳おっさんになった今だからこそと言うべきか、兎にも角にも面白い(ノイズの多い)“青春小説”です。


1960年代にアメリカで生まれ、“新人類”と称された世代の精神を的確に捉えたと言われている作品なのですが、全編が上記のようなクドい文体で綴られています。まぁとにかく読みにくく、何言ってるか全然わかんないんだけどカッコいい。

 


皮肉とジョークと固有名詞と造語が過剰に入り乱れるセリフから、厭世観が、親世代への怨嗟が、出口のない閉塞感が、満たされない渇きが滲み出て、切ない読後感を味わうことができます。この本にハマると、以下のような文体にも、背筋に電気が走るかのような快感を得ることができます。

 

 

『そんなある日、ボーリナスの郊外で、ミンの好戦建築の中でもとりわけ贅沢なものを撮ろうと支度しているとき、ぼくは薄い膜を突き破ってしまった。蓋然性という膜を──
 このうえなくゆるやかに、ぼくは“一線”を超え──
 見上げたとき目にはいったのは、十二発の膨れたブーメランのような代物で、全体が翼をなし、轟々と虚像のような優美さで東に向かっていく。あまりに低空なため、そいつの鈍い銀色の表面の、リヴェットの数ですら数えられそうなうえ──たぶん、ジャズの残響まで聞こえた。』

ウィリアム・ギブスン著 『ガーンズバック連続体』…短編集『クローム襲撃』に収録)


この圧倒的なまでの「なに言ってっか全然わかんねーよ」感。


訳者である黒丸尚氏のフィルター越しに得られる日本語の妙なのかもしれませんがまぁともかく、原語のテイストを極力削がないのが訳者の務めである以上、ギブスンの言語感覚が異質であることは間違い無いでしょう。『ニューロマンサー』から『ディファレンス・エンジン』まで一通り読みましたけど、3割も理解していませんよえぇ。

 

こういう『読みにくいけどカッコいい文体』の本ってのは、ふとしたきっかけで活字に魅入られたガキンチョが背伸びして読んでは真似をしたがり、いい歳こいた大人からは『読みにくい悪文』とか『中二病』とか『ラノベっぽい文章』とか一蹴されるんですけど、じゃあお前らなんで『ライ麦畑でつかまえて』を十代の少年少女に激推ししとるんじゃいコラ。

 

まぁともかく、色々と人生を踏み外してしまった『厨年』のおっさんたちにはオススメです。いまだに電子書籍化されていないので、アマゾンでポチっては通勤電車のお供にどうぞ。