2019/06/27『ターミネーター3』
『シン・エヴァンゲリオン』冒頭10分40秒が7月に世界同時上映、公式アプリも登場 - 映画ナタリー↓
https://natalie.mu/eiga/news/336944
エヴァQから7年経った今となっては「シンジくん!生きとったんかワレ!」とか言いたくなるわけですけど、まぁ待ち望んでたわけでもなく、キレイな結末が訪れるなんて微塵にも期待しているわけでもなく、結果として我々が劇場で目撃するのはパチンコの演出の為に億単位かけて作られた庵野秀明のライフワークの残滓だと分かってますけど。
でもなんだかんだワクワクするから悔しいでも感じちゃうビクンビクン。
まぁともかく…。
駄作、愚作、失敗作…世の中には”無かったことにしたい”黒歴史的な映画がたくさんありますが、今回は満場一致(オレ以外)の”黒歴史“かつ超大作である、『ターミネーター3』を紹介したいと思います。
ふと思い出したようにこんなことを書くのは、『ターミネーター』生誕35周年の今年…シリーズ最新作である『ターミネーター:ニュー・フェイト』が今年の11月に公開されるからです↓
位置づけは『ターミネーター2』の“正当な続編”だそうです。もっかい書きますけど、”正当な続編“らしいですよ奥様。
「オイオイ!『ターミネーター3』を無かったことにするんかい!信じられへん!」
とか、当時制作発表のニュースを見た時に思わずボヤいたのですが、まぁ公式が『T3』を“無かったことにしたい”気持ちは凄くよく分かります。
「さもありなん」と呟くファンもいることでしょう。賛否両論な作品でしたし。
未完の物語を仕切り直すなんて大胆そのものですが、実は『ターミネーター』シリーズが物語を仕切り直すのはこれで2度目です。
『ターミネーター3&4』が興行的に大爆死してシリーズはいちど打ち切られ、一作目をリブートして作られたのが『ターミネーター:再起動/ジェニシス』でした。ここから新三部作が構想されていましたが、『ジェニシス』も爆死して『ニューフェイト』でこのシリーズは2度目の仕切り直しを図りました。
いったい何回「I’ll be back!(また戻って来るぜ!)」言うとんねんオイ!
面白いことに『ターミネーター』シリーズには“過去に戻って歴史を変え、悲劇的な未来を回避する”という物語の展開を毎度のごとく迎えるのですが、このシリーズそのものが
“過去に戻って『黒歴史を無かったこと』にして、『大爆死の未来』を回避する”
というメタ構造になっています。
制作陣も狙ってやっているとしたら凄いですね。
まぁ赤字連発なのにそんなことするわけないんですけどね。
まぁそんなこんなで過去の5作品中3作が“黒歴史”扱いされてるわけですけど、俺にとってとりわけ思い入れが深いのが『ターミネーター3』なのですよ。
往年の『T1&T2』ファンに言いたいのですが、嘘偽りなく、今観たら「まぁ悪くないんじゃね?」って思うはずです。たぶん。
とはいえ公開当時はめちゃくちゃ酷評されてました。劇場で鑑賞したアタクシもまた、上映終了後は無言で劇場を出ていきましたもん。
そりゃキレイに完結したはずの『ターミネーター2』から12年後に突如現れた三作目は“カネ儲けのために作られた蛇足”と糾弾されても仕方ないわけで、しかもバッドエンドだったから尚更タチが悪い。
悲しいことに、前作『T2』で回避されたはずの『審判の日』はただ単に延期されただけであり、結局は破滅が訪れたのです。この結末にすんなり納得する観客は当時いなかったでしょう。
加えてますますいただけないのが、前作とは打って変わってサル顔の不細工になったジョン・コナーです。
美少年だった前作の面影は微塵にもありません。ホントなら反乱軍のリーダーにして人類の希望となるはずだったジョンですが、未来を変えた結果、“何者にもなれない男“に落ちぶれてしまったわけです。
こんなジョンは見とうなかった…でもコレが現実なんですよ。35歳のジジィになった今なら分かります。
なんの因果か前作でジョンを演じたエドワード・ファーロング本人もまた、当時は酒と麻薬に溺れ変わり果てていました。
エリ・エリ・レマ・サバクタニ。
他にもやたらとコメディ調になった演出や、老いを隠せないシュワルツェネッガー(当時すでに落ち目でした)、『ロミオ&ジュリエット』の頃とは似ても似つかない劣化ぶりを見せたクレア・デインズなど、『T2』に思い入れがあればあるほどガッカリポイントは数知れず…。
でも今観ると評価できるのが今作のストーリーでして、きちんとタイムパラドックスを避けて物語に整合性をもたせた部分に注目していただきたいです。
前作『T2』では確かにジョンたちはスカイネットを破壊し、希望の光が見える結末を描きましたが、そもそも平和な未来が訪れたらジョンの父親であるカイル・リースが過去にタイムトラベルすることは無くなり、結果としてジョンも生まれなくなってしまうのです。これでは矛盾が生じます。
だからこそというべきなのか、或いは『9.11』直後のアメリカを反映した結末を見せたかったのか、”キチンと整合性ある(残酷な)未来”を見せたかったのかはともかくとして、何はともあれ『T3』は世界を破壊した…愚直に。完膚なきまでに。
当時珍しく、とんでもなくカネをかけて、ハリウッドは『破滅の美学』を銀幕に叩きつけたのです。
ブラウン管越しに背筋を震わせたあの頃…日常は続いているのに、遠いどこかで確実に”嘘臭い破滅“が画面を覆い尽くしていたあのころ。巨大なビルの爆発と崩落は映画のみならずテレビでも何度も見ました。違和感が拭い去れない、でも確かにいまそこにある破壊と殺戮、それは“確かにそこにあった”のでした。
でもなんなのでしょう…
あの当時、誰もが俯いて劇場を後にしては、結末を批判したものです。「なんだよアレ!なんなんだよアレ!」
ただ単に認めたく無かったのかもしれませんけど。
でもやっぱりよく考えてみてはそうだった…避けがたい運命が、いや、一度は避けたからこそ、執拗に我々を脅かそうとする未来が、我々の頭上に重苦しく現前したのです。
歴史を変えようとする行為そのものが、そもそも歴史に織り込み済みだった…それ故に“審判の日”は免れず、暗い結末を迎えてしまう。万人には納得しがたい展開ですが、ご都合主義を排して辻褄を合わせたことを、今なら評価できるのです。
「面白さよりも(脚本の)ルールを優先しろだって!そんなもんは感情や理性を排した“お利口な”映画じゃねぇか!!! 」
そんな感想が聞こえてきます。それでもいい。今こそ再評価されるべき作品に、そんな喧嘩文句もアリだと思うのです。
よく見て下さいよ。超重量級のド派手なカーチェイスや凄まじい便所バトル、2時間未満にまとめた尺の短さなど、「さっきまでのシリアスさは何だったんじゃいコラ」と思えるような、一作目を踏襲したB級アクションの連べ打ちを堪能できるかと思われます。
前半はギャグ多めに、後半はシリアスにと、このごった煮感はビール片手に酔っ払いながら味わうのがおすすめです。
「ってか、どうせ最新作もまたコケるんだろうな。そしてまたコケたら、今作もまた『無かったこと』にして仕切り直す」んだろうなと思っています。
そこまで分かっていてなお、1800円を払って劇場に赴く所存なのですよアタクシは。思い出溢れるシリーズ作であり、新作の鑑賞がただの“確認作業”であったと分かっていても、肩の力を抜いて楽しめる作品群です。皆々様にはツッコミ入れまくりながら鑑賞して頂きたいです。
映画を見た皆様には漏れなく、“不完全だからこその美しさ”に目を眩ませてほしいものです。