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9割は映画、たまにアニメや本の感想。

2020/02/04/戦争・暴力・フィクション

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無職22日目。ストレス皆無で便秘も皆無。ウンコめっちゃ出ます。めっちゃデトックス


世間はウイルスパニックでオリンピック中止も検討されてまして、良い感じにバイオハザッてますね。
国内でも感染者が出てますし、自分の身は自分で守るしかないですね。

ま、以前いた職場はお客様がタバコを吸うし、アルバイトが風邪引いてるのに黙って出勤するし、何なら風邪でも社員は休めない職場だったので、アタクシは「不健康がちょうど良い」のですけれど。


あ、当方ちゃんと毎日アルコール消毒してますよ。ストロングゼロで。(おぃ

 

 

まぁともかく…。

 


『戦争は女の顔をしていない』コミック版第1巻を読みました。戦場の最前線で銃を取り、戦闘機を操縦し、殺し殺されたロシア人女性たちの回顧録です。
コミック版を読んだあと、すぐさま池袋のジュンク堂で原作本を買いました。そのくらいコミック版は心に迫るものがありました。


コミック版は小梅けいと先生のフィルターを通じて、熾烈だけど叙情的で柔らかい画が展開されます。10代の女の子たちが戦い、殺し、涙し、恋をする…平時ならばよくある戦闘美少女モノとして消費される物語が、かつて現実に存在したという事実、その事実に思いを馳せ、胸が苦しくなるのです。


絵柄がちょっと可愛すぎるかな…とも思うのですが、敢えての人選だったのでしょう。


それこそ戦闘美少女モノのマンガやアニメに慣れ親しみ、活字が苦手な若年層にも読んでほしいという思いからこのコミカライズの企画は始まったと思いますし、マンガ好きには親しみやすい絵柄ながら、原作をスポイルしない小梅けいと先生の筆致は凄いと思います。むしろ原作本を読めば分かりますが、ごくごく数行の短いエピソードでも細部まで描写し、壮大な物語に昇華させたりしてます。大変な想像力ですね。とにかくオススメの作品です。

 

 

戦争は女の顔をしていない 1 (単行本コミックス)

戦争は女の顔をしていない 1 (単行本コミックス)

 

 

 

さて、ユーモアを交えて少年の目線から描かれた戦争映画『ジョジョ・ラビット』がただいま絶賛公開中でして、昨年末に『この世界の片隅に』の完全版も公開されました。『この世界の〜』のヒット以降、グロテスクな描写を極力抑えた戦争作品が増えているような気がします。“マイルドに戦争を語る”のが今の時流に合っているのでしょう。


戦争を題材にした作品と向き合うのは難しい。戦争がよくないことであることは子供でもわかることでして、これでもかと言うほどの惨たらしい描写で戦争の悲しさを訴える映画やマンガは無数にあります。


プライベート・ライアン』や『はだしのゲン』なんかを子どもに見せたらトラウマになるに違いありません。一方で戦車戦艦戦闘機のカッコ良さに興奮し、人体が破壊される阿鼻叫喚のキリングフィールドに高揚する度し難い輩もいるのです。オレです。↓

 

strawdog48.hatenablog.com

 


エログロナンセンスが公共の場に流れるとすぐ炎上する昨今においては、ますます『プライベート・ライアン』なんかは御法度モノでして、『ランボー怒りの戦場』や『ハクソー・リッジ』のようなグロ見本市映画を好む人間は白い目で見られることでしょう。でも好きなんですよマジで。アブないおじさんですので、アタクシには近づかない方がいいですよ。いろんな意味で。


平和な国に生きる人間にとって、戦争とは娯楽でありフィクションにも成り得てしまいます。核兵器を放棄し、発砲も殺傷も許されない自衛隊に守られる非暴力の島国ニッポン。

空を見上げれば武装美少女が音速で飛び、地上では女子高生が戦車を乗り回すのです。
暴力を排した戦争モノは少女の青春物語として消費され、暴力で心に訴える戦争モノはマニアを歓喜させるのです。

 

もうすぐ『1917』という全編ワンカットが売りの戦争映画が公開されるので楽しみです。かつてないほどの臨場感と没入感を
味わえるということで、大きなスクリーンで観たい映画です。


サム・メンデス監督作!映画『1917 命をかけた伝令』予告


暴力の悲しさ、人類の愚かさを後世に語り継ぎつつ、同時に娯楽として消費されてしまう…それが戦争モノのジレンマだと思っています。いや、戦争モノに限らず、死と暴力を有したフィクションや創作物は、それを肯定するにせよ否定するにせよ、そのジレンマを免れない。まったく持って人間とは度し難い生き物です。


娯楽やフィクションなら暴力は許される。善と悪の二元論も許される。悪役の死を願うことも許される。
暴力を描いた映画やマンガ、ゲームや小説と長いこと戯れて、アタクシは無数の“死と殺戮”を疑似体験しました。
でも死や暴力はあくまでフィクションの中でなら許されるのです。現実に暴力を振るうことも、誰かの死を願うことも許されません。


というのも、陰惨なニュースがネットに流れるたびに、第三者が犯人の死刑を望んでいるのがオレには解せないのです。
「こんなヤツは殺してしまえ」だの「極刑に値する」だの、自分の人生に何ら関わりのない人間の死を望む…自分の人格を疑ったことは無いのでしょうか。死や暴力を望んでいいのはフィクションだけです。くどいようですが。


いや、彼らにとって凄惨な事件はきっと“他人事”であり“フィクション”なのでしょう。だから簡単に「死ね」だの「殺せ」だの言えるのかもしれません。ちなみにオレは死刑制度には反対してます。被害者の遺族は加害者に対して強い恨みを持つでしょうが、だからと言って加害者を殺していいことにはならないからです。


誰かを殺した人間は殺されて当然という論理が罷り通っているのかもしれませんが、仮にアナタが死刑囚を殺す権利を得た場合、アナタは殺せるのでしょうか。機関銃でハチの巣にして良い、ナイフで滅多刺しにして良い、鉈で首を刎ねて良い…。直接殺すのが嫌なら、ガス室に死刑囚を閉じ込めて、離れた場所で毒ガス噴射のスイッチを押せばいい…そう言われて易々と執行できるでしょうか。

 

職業軍人でさえ、PTSDで自殺や除隊が多いと聞きます。死刑囚はあらゆる面で一線を超えてしまったのかもしれませんが、多くの人間は暴力に対して強いストレスを感じるのです。

あくまでフィクションとして暴力と向き合う…フィクションだからこそ暴力を娯楽として消費できる。それは綺麗事であり現実逃避かもしれません。現に紛争やテロはそこかしこで起こっているのですから。


でも25年も映画やマンガや小説を愛しており、エログロナンセンスな作品を無数に鑑賞してきた身としては、フィクションの持つ力を信じていたいと思うのです。だって暴力や死や性に、バーチャルであっても真摯に向き合えるのですから。


なんか上手く纏まってない内容ですみません。とにかく現実において暴力はダメだよってことと、『戦争は女の顔をしていない』メッチャおすすめですってことが伝わっていただければ…。

 

 

 

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

 

 

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)