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9割は映画、たまにアニメや本の感想。

20171111 『あなたのための物語』

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久々に実家に帰り、半年ぶりくらいに家族に会う。
妹とは新大久保の韓国料理店で一緒に食事をした。

 

「ごはんおごって」と頼まれれば断る道理はない。
まぁ本来なら自分の誕生日を兼ねた帰省なのでご馳走になる身分だが、悪い気はしない。

 

積もりに積もった話があるわけでもないが、久々に話すと、母や妹が健やかに日々を過ごしていることに安堵する。


「たまには帰ってきなさい」と言われるまでは実家に帰ることはないし、それを自分自身、冷たいとも思わない。


いい歳こいて親元が恋しいわけでもなく、家族の時間より自分の時間の方が優先だと感じているだけ。


でも、久々に会って話をすると楽しい。半年分の「近しい誰かの物語」は、とにかく興味深い。


心を穿つでもなく揺さぶるでもなく、日々の他愛もない話が静かに沁み渡る。


今回は注文しなかったが、韓国料理のチーズダッカルビが大変な人気であることを今の今まで知らなかった。


やっぱり、他人の生きた時間は楽しい。自分の知らない新しいことを教えてくれる。

 

話していて脳裏にチラつくのが、長谷敏司氏のSF小説である、『あなたのための物語』(ハヤカワ文庫JA 2011)だった。

 

あらゆる感情や経験を『言語』として記述可能な、脳を模した擬似神経回路ITP…これを実装した人間は悲しい時でも笑えるよう感情をコントロールし、車の運転や料理などの専門的な技術すらも『追体験』し、短期間で習得できるという夢のツール。

 

このITPの創造性をテストするために、ITPの模擬人格(簡単に言うと人工知能…AI)に無数の物語を読ませ、小説を書かせるという展開がこの小説のユニークな点だ。

 

喜怒哀楽もパンの味も死も知らないAIが、無数の物語を通じて人間の感情を追体験し、新たな物語を紡ぐ。そしてAIは人間を一つの小さな情報集積体(データベース)…つまり『物語』だと結論づける。

 

ヒトがそれぞれ固有の物語であることは同意する。映画も音楽も小説も漫画も好きで、フィクションと日々戯れているからというのもあるが、そもそも人は現実の世界をありのまま生きているわけではないからだ。

 

パチンコに興味のない人は、自分の住む街にいくつパチンコ店があるかなんて知りもしないだろう。逆にパチンコが好きな人なら、どこへ行こうと視界にパチンコ店が飛び込むに違いない。


日本語を全く理解できない外国人が日本に来たら、俺たちとは違って、聞こえてくる音の大半は只のノイズだろう。


或いは、全盲の人が『視ている』世界は、自分には想像もつかない世界だ。


人それぞれ、まるで見ている世界が違う。生きている世界が違う。
五感を通じて入り込む情報を脳が処理し、目の前に現前する世界…経験や嗜好、性格や知識によって偏向的に再編集された世界は、人それぞれの固有の物語でありフィクションなのだ。


一人一人が固有の物語を生きているという意味で、我々は一人一人が特別なのだ。そして物語は読んで聞かせて語り継ぐことで、その存在を不滅にする。


この日記だって、とある一日の経験を自分が書いて推敲して編集して皆様に届けている時点で、一つの物語だ。

 


“これがわたし。
これがわたしというフィクション。
わたしはあなたの身体に宿りたい。
あなたの口によって更に他者に語り継がれたい。”

 

 

肺癌により34歳で夭折した小説家、伊藤計劃の言葉だ。
伊藤計劃記録II』(ハヤカワ文庫JA 2015)に収録されている『人という物語』から引用している。

 

 

伊藤計劃記録 ? (ハヤカワ文庫JA)

伊藤計劃記録 ? (ハヤカワ文庫JA)

 

 

長年の闘病生活で、自分の命が長くないことを知っていた1人の小説家が、『物語ること』で誰かの記憶に留まろうと、死の淵で足掻いたのだ。
故にオレの中で伊藤計劃は今も『生きて』いる。

 

また近いうちに実家には顔を出す。その時までには一つくらい、面白い『物語』を新しくこさえておこう。

 

 

自分もまた、『あなたのための物語』なのだから。

 

 

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)