20170302 『ラ・ラ・ランド』
先日、「フランケンシュタイン」の原作を初めて読みました。(光文社古典新訳文庫版)
映画やアニメでおなじみのツギハギ顔の怪物はドラキュラと肩を並べるゴシックホラー界の超セレブ…なんですが、原作は意外にも血腥さが薄めの「泣ける悲劇」なのでした。
しかも一般的に連想するフランケンシュタインの怪物はデカくて醜くて愚鈍なのですが、原作の怪物は
「デカいくせに俊敏で知能はズバ抜けて高く、酷暑にも極寒にも耐えてドングリや木の実で飢えをしのげる高燃費仕様(ただし醜い)」
という超チートスペックw
孤独で愛されたいのに、ただ醜いという一点だけで人間から忌み嫌われてしまうという悲劇は、原作の発表から200年経った今なお、胸を打つのでした。映画で言えば『エレファントマン』ですね。
やっぱり顔か‼︎顔なのか‼︎
そして何よりも悲劇なのが、多くの人に「フランケンシュタイン=怪物の名前」という誤解が広がっていることでしょう。
実はフランケンシュタインとは怪物の生みの親の名前であり、誰もが思い浮かべる「フランケンシュタインという怪物」には名前が存在しないのです(ただ、怪物だの化け物だの呼ばれるだけ)
要するに『名前のない怪物』なのです(同曲の元ネタは『MONSTER』らしいですが)
『名は体を表す』という諺がここでは適切な意味を持つかどうかはともかくとして、端的に言って名前=存在のようなものであり、名付けられることでその存在は実体を帯びるのです。
もし怪物の生みの親すら名前を持たなかったのであれば、あのツギハギ顔の怪物をイメージできる人などいなかったでしょう。
誤解とはいえ、「とりあえずフランケンシュタインという固有の名前」が作中にあったからこそ、怪物がその存在を獲得することができたのです。
生みの親にも名前を与えられず、多くの人がこの怪物のことをフランケンシュタインだと思い込み、正しく認識されてこなかったことが、彼の悲哀をより際立たせるのです。
よく分からなかった方は超ヒット映画『君の名は。』で、奇跡の代償に記憶を失い慟哭する主人公や、『ファイトクラブ』でエドワードノートンが演じている役を思い浮かべて見てください。
「そういえば確かに‼︎」と腑に落ちると思います(たぶん
…というわけで、皆さんも嫁や子供ができたら「おい」とか「おまえ」じゃなくて、ちゃんと名前で呼んであげてください(結婚する気は全くないですがw)
さて、このあいだ映画『ラ・ラ・ランド』を見て来ました。
アカデミー賞最優秀作品賞最有力候補だっただけに映画館は超満員。
久々に最前列の死ぬほど見辛い席で鑑賞しました。
それにしても『ラ・ラ・ランド』とかいうテキトー極まりない題名…ノリでつけたんじゃないかという表題
半年後にはツタヤの新作コーナーの片隅で『マ・○・ランド』とかいうエロパロ作品が並んでそうなタイトル。
適当でもなんでもなくきちんと意味があるらしく、『LA=ロサンゼルス』ないし、『夢の国』を表すそうです。
そう、これは夢の映画でした。冒頭の神がかったオープニングから、二人が歩んだ道、その結末、そして何より、監督が『セッション』以前から温めていた夢の作品。
まさしく夢心地でした。危うく居眠りしかけるほどに。
別にアカデミーがどうこうではなく、前作『セッション』に強烈に惹かれた身としては(7回くらい見てる)、ひどく退屈したのが正直なところです。
聞くところによると、今作を撮るために監督としての手腕・実力を証明すべく、『セッション』が生まれたらしいですが、
「ビッグになったらホントはコレが撮りたかったんだよ‼︎」
とばかりに『レオン』以後に『フィフス・エレメント』を撮ったリュックベッソンを思い出しました(『レオン』は資金集めのために撮ったらしい)
自分が本当に撮りたかった作品で世間から喝采を受けるあたり、もう監督としての生涯は約束されたようなものなんですが(しかもまだ32歳というw)、『セッション』のような激しい罵声と血と汗による衝撃で、今一度オレのようなボンクラ映画ファンの目を覚まさせてほしいと切に願います。
まぁたぶん、もう一度見に行くと思いますけど。