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9割は映画、たまにアニメや本の感想。

2019/03/15 『マトリックス』

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押見修造先生の『惡の華』にハマって、他の著作である『ハピネス』『血の轍』『ぼくは麻里のなか』をネカフェで一気読みしました。

 

 

ぼくは麻理のなか : 1 (アクションコミックス)

ぼくは麻理のなか : 1 (アクションコミックス)

 

 

 

何かの雑誌の『君の名は。』特集で新海誠監督が「『ぼくは麻里のなか』に影響を受けた」的なことを書いていたのですが、一巻冒頭の展開とか構図が“そのまんま”で笑いました。影響を受けたというよりパクったと言った方がいいレベル。

  

惡の華』がツボった方はこちらも読むといいです。

 


まぁともかく…

 

 

2019年は『マトリックス』公開20周年の年!

  

主演のキアヌ・リーブスは今年公開の『ジョン・ウィック:チャプター3-パラベラム』で再び“モーフィアス”と共演してマトリックスごっこをやるわけですが↓

 
https://youtu.be/awxl4QC4i_w

 

まずはキアヌの大ブレイク作である“原点”を振り返ってみましょう。『スピード』派の方はすみません。

 

 
遡ること約20年前…
1999年9月某日。

 

世界は核の恐怖に包まれたわけでも、『アルマゲドン』のように隕石が落ちてくるわけでもありませんでした。

そして何より、『ノストラダムスの大予言』にあたる1999年7月は、何事もなく過ぎていったのでした。

 
当時のオレは「いや、でもまだ2000年問題があるじゃん!死ぬかも!」と、ビクビクしながら恐怖の日々を過ごしていたリアル厨房(死語)でした。

 

 
いまの20代以下の方はピンとこないかもしれませんが、かつての日本ではオカルトブームの影響で、1999年の7月に人類が滅ぶと信じている方が結構いました。

いや、ホントに。マジで。

 

世界の終わりがやってくる不安を抱きつつ、それでもしっかりと毎週のごとく映画館に通っていたオレは、劇場で『マトリックス』の予告編を観てシビれました。

公開初日に観に行ったのは言うまでもありません。

 


その作品を劇場で観た時の、全身が興奮で打ち震えるような感覚…思わず心の中で叫びました。

 

 

「おぉ、神よ!」

 

1999年、人類が滅びるのだと割と本気で思っていた気弱な少年にとって、この映画は救いの光を与え、そして次の千年紀を予感させる、革新的な映画だったのでした。 

 

 

いま自分が見ている世界は、実は仮想現実だったという衝撃。
人工知能(AI)が人間を支配している恐怖の世界。
今まで見たこともないような、斬新なVFX
ワイヤーアクションとカンフーと二挺拳銃、そしてサングラス。
誰もがマネした“マトリックス避け”↓

 
https://youtu.be/ggFKLxAQBbc

 

あまりにも…あまりにも鮮烈でした。全てが新しかった。そしてカッコよかった。面白かった。面白過ぎた。

当時のオレのハートをカツアゲするのは当然でして、オレは人生の何分の一かをマトリックスに捧げたのでした。

 

 

脳が灼かれるほど興奮したオレは、マトリックスの世界観により深く潜るべく、元ネタの『ニューロマンサー』を読み、『攻殻機動隊』の劇場版を鑑賞しました。

どちらも当時は全く理解不能でした。

 

 

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1986/07/01
  • メディア: 文庫
 

 

 

続けて『マトリックス』に影響を与えた哲学書である、『シミュラークルとシミュレーション』を読みました。

爆睡しました。

  

 

 


アメリカのロックバンドであるレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンマリリン・マンソンを聴き、二挺拳銃をやってみたくてエアガンを購入しました。

親は心配していたと思います。

 

 
そして町田で変なグラサンを買い、ジーンズメイトで黒い服をたくさん買いました。

黒歴史でした。いま思い出すだけで涙が止まりません。

 

 

あ、その頃には既に『2000年問題』は起こらず、無事に世界は2000年を迎えていました。念のため。

  


いまになって見返してみると本当に中二病というか、オタクの妄想みたいな映画だったのは間違いありません。

何せ主人公のアンダーソン(通称 ネオ)は遅刻癖が治らないダメリーマン。冒頭から上司に叱られてます。

 

「また寝坊しやがって。また遅刻したらクビだぞコラ!」

 

とか言われてるわけですが、そんなダメ人間が黒人のグラサンハゲに

 

「お前がこの世界の救世主だ」

  

とか言われちゃうんですね。んで、まんまと乗せられたパソコンオタク(プログラマー)の主人公は、脳内にカンフーとか銃の扱い方を全部ダウンロードして、「オレつえー」状態になるんですよ。

 

で、敵であるエージェントは“いかにも”な白人背広の風貌で、そいつらが従える部下たちは警察や軍人たち…即ち敵は国家権力のメタファーなんですよね。

 

この映画自体が『権力VSマイノリティ』という構図でできあがっているわけでして、そいつらをマシンガンとカンフーで片っ端からブッ殺しちゃうわけですよ。

“アンチ権力!ビバ自由!”をうたって暴力で革命を起こすわけですよ。

 

 終盤のロビーでの大銃撃戦では、ネオが(善良な)警備員もバンバン撃ち殺します。なかなかに過激な映画だと思います。

 

 ともすれば“テロ礼賛映画”と揶揄されてもおかしくなかったわけですが、『9.11』以前に作られた映画ですからね。時代が許したのでしょう。

 

 余談ですが、『マトリックス』の日本での公開日は1999年の“9月11日”です。マジで。

 

 全ての始まりと終わりを予感させる1999年、『マトリックス』は世界中でヒットし、DVDもバカ売れしました。まさに革命的な映画だったと思います。

 

マトリックスをパクった映画はたくさんありましたし、テレビをつければ“マトリックス風の演出”が成されたCMやドラマも多数ありました。

 

映画に興味のなかった人も、当時のマトリックスブームを知っている方(要するにオッさん)は多いかと思います。

 

そんな傑作『マトリックス』ですが、良くも悪くも“問題作”である続編が作られます。

マトリックス リローデッド』と、完結編である『マトリックス レボリューションズ』です。

続編の『マトリックス リローデッド』なんかは凄まじく情報量の多い作品であり、同時にノイズも多いです。公開当時は賛否両論ありました。

 

 100人スミスとの激闘や、撮影のためにわざわざ作られた高速道路でのカーチェイス、意味不明な禅問答、誰得なエロシーン、そして終盤の大ちゃぶ台返し…etc

 

 そのカオスすぎる続編に世間は困惑しました。見所は多いものの、ストーリーがますます難解を極めたからです。

 

 まぁそれでも、完結編の『レボリューションズ』で全ての伏線は回収されるでしょう…ファンは少なくともそう思っていたはずです。

 
ところがどっこい!伏線はロクに回収されず、意味不明な展開とナウシカをパクった結末、エージェント・スミスとの“雑なドラゴンボール”バトル、全くもって理解が追いつかない観客に対し、

 

「ネオがオレたちを救ってくれた!バンジャーイ!」


完!

 

みたいなエンディング。呆然となって観客は“口ぽかーん”し、落胆と失望の空気が場内を占拠したのは間違いありません。

 


後にネットや雑誌の考察でようやくストーリーを理解したのですが、何より不満だったのは“ネオが救世主になる”という展開が、そもそもAIにとっては筋書き通りであり、主人公が敵の掌のうえで踊らされてただけだったということです。

  

そして機械との全面戦争で人類は勝利した…かと思えば、「(マトリックスから)出たいやつは出してやる」と敵の親玉が言うように、依然としてAIが人類に対して優位であるという結末。

 

なにこれ全然レボリューションしてないじゃん!

敵とは和解したかもしれないけど、結局は支配構造は変わっていないというオチ。

 

マシンガンとカンフーで世界を変えてやる!とロックな映画を撮ったウォシャウスキー兄弟(性転換して今は“姉妹”)が、どうして続編でこんなオチにしたのかオレには分かりません。

 
結末を見届けてから暫くは、オレは『マトリックス』に興味を失っていました。ガッカリしていたのは事実です。

 
まるでこの3部作は60年代に流行ったアメリカン・ニューシネマのようです。

既存の体制に反発するも、結局は死ぬか敗北するかで終わるアンチハッピーエンドの映画群なのですが、いま観返してみるとそんな感想が浮かぶのです。

 

 
まぁでも、瑕疵や欠点を論えばキリがない『マトリックス3部作』ですが、いま観ても古びていないどころか、新しい発見があると思います。

 


なにせ人類は、『人工知能(AI)との戦い』の真っ只中なのですから。